有田市立保田中学校

沿革

昭和22年5月 新制、保田村立保田中学校として、保田小学校の校舎を使用(間借り)して開校した。
昭和24年7月 新校舎一棟(5教室)落成する。
昭和28年7月 有田川流域一帯、未曾有の大洪水となり、全校舎基礎より流出する。
昭和30年6月 鉄筋三階建校舎が落成、現在に至る。
昭和31年5月 有田市制施行に伴い、校名を有田市立保田中学校と改正する。
昭和39年4月 特別教育活動として、県下初の「全員クラブ」教育を取り入れ、バレー、野球、剣道など7つのクラブが活動し、後に文部省の教育課程研究のモデル研究校となる。
昭和52年6月 有田市にコレラが発生。自衛隊による全校舎・校地の消毒を実施するとともに、月末まで学校閉鎖という事態となる。
昭和55年9月 大日本除虫菊株式会社社長上山勘太郎氏寄付による、記念館の竣工式が催される。
昭和58年11月 文部省指定「中学校機器利用・英語教育研究発表会」が開催される。
平成6年7月 自主自立の願いをこめて。全校挙げての取り組みの結果、「頭髪」自由化を実現する。
平成7年11月 文部省指定教育課程実施状況調査研究協力校発表会が開催される。
平成14年4月 文部科学省より、学力向上フロンティアスクールの指定を受ける。

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